YOSHIDA designworks

Brand Storyボナ キュイール

ブランドストーリー BUONA Cuir編

誰かの日常を彩るために生まれるレザーグッズ、
それらを創り出すひたむきな職人達の物語。


次の誰かへ、
大切に受け継がれる確かな技術。

The next generation who
the traditional skill is taken over.


彼女は大きな桜の木が中程にある小さな公園で昼食を取っていた。一人で。
その桜は春になると周辺を彩るが、もうすぐ咲きそうなこの季節の方が、彼女はここが好きだった。

いつもは工房の中で職人仲間と食べるが、今日はそんな気分ではない。
空は曇っている。彼女の気分も同じだった。午後からは雨の予報も出ている。

革職人としてこの世界に入ったのは、10年前だ。今年30歳になった。
高校を卒業して中堅の旅行代理店で窓口業務をこなしていたが、以前から憧れていた職人になるために辞めた。

仕事は実に楽しい。
好きなことを仕事にできて、ずっと続けられることは何より幸せなことだと思う。
工房には今年75歳になる先輩職人だっている。彼も幸せそうだ。生き生きと仕事をこなす。

今朝、その先輩職人が引退することが工房のみんなに伝えられた。

この憂鬱はそのせいだ。
彼の奥さんの体調があまり良くないらしい。看病に専念したいというのが引退の理由だ。
彼らしい。

彼女は小さな頃から物作りが好きだった。

就職活動の時期、今の工房のような会社が探せなかった。高校が彼女の希望を聞いて紹介したのは警報器の組み立て工場や、給湯器の修理業者だった。
私にはちょっと違うなと思い、自分で探して旅行代理店を受験した。
どうして旅行代理店だったかというと、旅行は好きだったが他に大きな理由はなかった。

だからかも知れない。働きながら、手作りの匂いがするものをネットで物色するのが習慣になっていた。

そしてある革小物を見つけ、それが自宅からそれほど遠くない場所で作られていることを知った。

いても立ってもいられず次の日の仕事帰りにその工房に向かった。

下町情緒あふれる街の中の商店街に、まるで別世界のように佇むビルがあった。
鉄でできた重厚な門の中にはレトロなランプがあった。灯ってはいないが、優しい雰囲気なのに大きな存在感があるランプだ。
その隣に大きな木製の扉、そしてその隣には大きな3つの窓。そこから中の様子が覗くことができる。

数人の職人が忙しそうに、でもリズミカルに動いている。

窓のそばにはミシンが置かれている。白い口髭をたくわえた初老の男性職人が座って何かを縫っている。

革小物だ。財布だろうか。繊細な作業だと分かったし、なぜかひと目見て良い革なんだろうなと思った。ただ感じた。

素早く、真っ直ぐに正確に入っていく針と糸。心地良い静かなマシン音。

彼は全身を使い作業している。スピーディーでいて滑らか。
単調なようでたくさんの動きが彼の作業には見て取れた。彼は考えて動いている訳ではないだろう。完全に動きが染み付いている。
それでいて全く同じ繰り返しの動きではない。

おそらく革というものの特性と対峙するということは、そういうことなのだろう。

何時間そこで職人達の動きを眺めていたのだろうか。

もう夢中だった。こんな事ができるようになりたい。私は何が何でもここで働く必要がある。行動あるのみだ。

辺りが少し暗くなり始めた。
すると大きな鉄の門の中がふいに明るくなった。
見るとレトロなランプが灯っていた。
思った通りの包み込むような優しい明かり。
彼女はその明かりを見上げながら何かに受け入れられたような感覚に陥った。
ここに導かれるかも知れない、彼女は確信めいた思いに至った。

やはり彼女は運が良かった。求人サイトでその工房の求人を見つけ応募できたのだ。

面接と実技試験があったが、実技の結果には絶対的な自信があったが面接の結果が不安だった。
緊張して全然話せなかった。めずらしい事ではない。いつもそういう時の自分を呪うはめになる。

一週間後に工房から採用通知の電話を受けた時の喜びは、旅行会社の時のそれとは次元が違った。

入社初日に直属の上司、師匠として紹介されたのが白髭の彼だったので心が躍った。

そうして彼女は彼からこの世界の全てを教わっていった。
作業技術はもちろん、道具の手入れの仕方、使い方、革の知識に至るまで。
しかし革職人の仕事はとにかく奥が深い。いくら時間があっても足りないと感じた。

職人の仕事に練習など無い。
ハギレを使って練習したところで本番の作業にはほど遠い。
やはり本番の回数をこなすしか絶対に腕は上がらない。
だが未熟であろうと、ベテランであろうと、製品の価値プライスは同じ。
送り出される製品のクオリティは全て工房が認める技術のレベルに達している必要がある。

そのため先輩職人の彼は新しい技術を彼女に教える時、必ず背後に立って彼女の仕事をみた。

その間は自分の作業はしなかった。だから短い時間でまだ達していないと判断するとその作業をやめさせて、元々できる作業に戻してから自分の作業を再開する。達していない作業では決して放し飼いされない。

そうやってみんな少しずつ工房のクオリティを身に付けていくのだ。

彼女は焦っていた。時間が足りない。とにかくまだ色んな意味で達していない。

彼がいなくなる以外に彼女には焦る理由がもう1つあった。
この夏、新しいブランドが立ち上がると聞いていた。

ブランド名は、ボナ キュイール。

『BUONA Cuir』

素材感、コンセプト、どれも自分好みだった。
この新しいブランドのスタートに深く関わりたい。
大切な1stコレクションのチームに抜擢されたい。そう考えていた。
工房にはまだ他にもベテランや中堅の職人もいる。
自分にはまだその力は無いかも知れない。

彼の最後の出勤日まではあっという間だった。
そして最後の日はもっとあっという間だった。

彼女は最後の仕上げの前段階、いわゆる下準備をスピーディーにかつ念入りにした。
ある程度まで仕上がったものを木槌で打って馴染ませた。

とんとんとん。

機会的ではなく、でも規則的に。

とんとんとんとん。

白髭の老職人が木槌での下準備を終えた彼女にミシンでの縫製を促した。
この作業はこれまでまだ彼女が工房のレベルに達していない作業だった。

彼女は窓の前のいつものミシンに座ると、彼もいつものように彼女の後ろに立った。
達していない作業を見守るために。

先刻から窓の外に張り付いて中を見ている女性がいるが、彼女には気にならなかった。
割と頻繁にある光景だし、今はそれどころではない。

彼女はとても集中して縫製した。自分のミシンの音以外は聞こえないほどに。
今、手にしているものが工房のクオリティに達するように。とても、とても、集中した。

ある瞬間、彼女の背後で空気が震えた。

彼が隣のミシンに座ったのだ。

彼女の作業を止めずに、彼女と同じ作業を隣のミシンでするために。

彼女はその時のその小さな卒業に気づかなかった。
それほど集中していたのだ。

彼は慣れた手つきでミシンのセットをしながら思った。

大丈夫だ。こうして続いていく。継がれていく。
つくることが大好きな人が、同じようにつくることが大好きな人につなげていく。

彼は窓の外で目を輝かせている女性に微笑みかけた。

もしかしたらこの女性も次に継ぐ人かも知れない。

そうであればいい。

窓の外は暗くなり始めていた。

彼は視線を手元に戻した。

最後の仕事を全うするために。

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